「伝わる」を多角的に:やさしい日本語とピクトグラムを活用したミュージアムの情報提供
すべての人に「伝わる」情報提供を目指して
ミュージアムは多様な人々が集まる場であり、展示や館内情報がすべての来館者に「伝わる」ことは、インクルーシブなミュージアムづくりの根幹をなす要素の一つです。しかし、既存の展示解説や案内表示は、専門用語が多かったり、複雑な言い回しになっていたりして、すべての人にとって理解しやすいとは限りません。
特に、知的障害や発達障害のある方、日本語を母語としない外国人、高齢者、あるいは一時的に認知機能が低下している方など、文字情報だけでは十分に情報を得られない方々がいらっしゃいます。すべての方が安心して、そして楽しくミュージアムを体験するためには、文字情報に頼りすぎず、より多角的なアプローチで情報を提供することが求められます。
本記事では、限られた予算や人員でも比較的導入しやすい、「やさしい日本語」と「ピクトグラム」の活用に焦点を当て、誰もが理解しやすい情報提供を実現するための具体的な方法やそのヒントをご紹介します。
文字情報だけでは不十分な理由と、求められる情報伝達の工夫
従来のミュージアムにおける情報提供は、主に文字による解説パネルやパンフレットが中心でした。これらは多くの情報を提供できる一方で、以下のような課題を抱えています。
- 専門用語や難解な表現: 学術的な正確性を追求するあまり、専門用語が多くなり、一般の来館者には理解しにくい場合があります。
- 長い文章: 情報量を詰め込むために文章が長くなり、最後まで読み通すのが困難になることがあります。
- 視覚情報への偏り: 文字情報が主であり、視覚以外の感覚や、異なる情報処理スタイルを持つ人々への配慮が不足しがちです。
- 翻訳の限界: 外国語対応として翻訳を提供しても、その言語の習熟度には幅があり、また文化的な背景によって理解が妨げられることもあります。
これらの課題を克服し、より多くの人々に情報が「伝わる」ようにするためには、情報を伝える手段や表現方法を多様化することが有効です。
具体的な実践:やさしい日本語とピクトグラムの活用
多角的な情報提供を実現するための具体的な方法として、「やさしい日本語」と「ピクトグラム」は、多くのミュージアムで導入を検討しやすい手法です。
1. やさしい日本語の活用
「やさしい日本語」とは、通常の日本語よりも簡単で分かりやすい単語や短い文章で表現された日本語です。阪神・淡路大震災を教訓に、外国人へ正確な情報を伝えるために考案されましたが、現在では高齢者や障害のある方など、様々な人々への情報伝達に有効であると認識されています。
やさしい日本語の基本的なルール(例):
- 簡単な言葉を使う: 日常的に使われる言葉を選びます。難しい言葉や専門用語には言い換えや注釈を付けます。
- 短い文章で話す・書く: 一つの文章に一つの情報を盛り込むようにします。
- 漢字を減らすか、ふりがなを振る: 常用漢字以外は避けるか、すべての漢字にふりがなを振ります。
- 肯定的な表現を使う: 二重否定や回りくどい言い方を避けます。
- 句読点を効果的に使う: 文の区切りを明確にします。
ミュージアムでの応用例:
- 展示解説パネル: 既存の解説を短く、簡単な言葉に書き換えた「やさしい日本語版」を作成し、通常版と併記または希望者に配布します。
- 館内案内表示: 非常口、トイレ、授乳室などの基本的な案内を、やさしい日本語で表示します。
- パンフレット・ウェブサイト: ミュージアムの概要、開館時間、料金、アクセス方法などの基本的な情報を、やさしい日本語で提供します。
- イベント案内: 参加方法や内容説明を分かりやすく伝えます。
導入のステップとコスト:
- 対象となる情報の洗い出し: どの情報(展示解説、案内、ウェブサイトなど)をやさしい日本語化するかを決めます。
- 書き換えルールの共有と研修: 学芸員や担当者がやさしい日本語の基本的なルールを学び、共通理解を持ちます。専門家による研修も有効です。
- 既存情報の書き換え: 既存の文章をやさしい日本語のルールに沿って書き換えます。
- チェック: 書き換えた文章が本当に分かりやすいか、複数人でチェックしたり、実際にターゲット層に近い方に読んでもらったりします。
- 媒体への反映: パネル作成、ウェブサイト更新などを行います。
コストとしては、主に学芸員や担当者の学習時間や書き換え作業にかかる人件費が中心となります。外部の専門家や翻訳サービスを利用する場合は費用がかかりますが、内部で取り組むことでコストを抑えつつ、スタッフのスキルアップにも繋がります。
2. ピクトグラムの活用
ピクトグラムは、情報をシンプルな絵や記号で伝える視覚言語です。言語に依存しないため、様々な背景を持つ人々が一目で情報を理解するのに非常に有効です。
ピクトグラム活用のメリット:
- 直感的な理解: 言葉を読む必要がなく、視覚的にすぐに意味を把握できます。
- 省スペース: 文字情報よりも小さなスペースで表示できます。
- ユニバーサルデザイン: 世界中の多くの人が理解できるようデザインされています。
ミュージアムでの応用例:
- 館内案内: トイレ、休憩所、非常口、階段、エレベーター、飲食禁止、撮影禁止などの基本的な情報を表示します。JIS規格などに定められた標準的なピクトグラムの使用を推奨します。
- 設備表示: 自動販売機、AED、公衆電話、ゴミ箱などの設置場所を示します。
- 展示エリアでの注意喚起: 「触らないでください」「フラッシュ撮影禁止」などの注意をピクトグラムで表示します。
- ウェブサイトやデジタルコンテンツ: サイトマップや機能説明にアイコンとして活用します。
導入のステップとコスト:
- 必要な場所と情報の特定: どの場所に、どのようなピクトグラムが必要かをリストアップします。来館者の動線を考慮します。
- ピクトグラムのデザイン選定/作成:
- 標準的なピクトグラムの利用: JIS規格などに基づいたデザインは、信頼性があり広く認識されています。無償または安価で提供されているデザインデータもあります。
- オリジナルの作成: 特殊な展示や設備にはオリジナルのピクトグラムが必要な場合もあります。その際は、誰が見ても意味を誤解しにくい、シンプルで分かりやすいデザインを心がけます。専門家(デザイナー)に依頼するか、デザインツールを使って自身で作成します。
- 設置場所の検討と設置: 見やすい高さ、場所、サインの素材やサイズを検討し、設置します。
コストとしては、デザインデータを自身で用意する場合は印刷・加工・設置費用が主となります。外部にデザインやサイン制作を依頼する場合はその費用がかかります。既存のサインにピクトグラムのシールを貼るなど、低コストでできる方法もあります。
実施上の考慮点とさらなるステップ
やさしい日本語やピクトグラムの導入を進める上で、いくつかの重要な考慮点があります。
- 一貫性: 館内の情報提供全体で、使用する言葉遣いやピクトグラムのデザインに一貫性を持たせることが、来館者の混乱を防ぎ、信頼感を高める上で重要です。
- 完璧を目指さない、まずは始める: 一度にすべての情報を書き換える必要はありません。来館者からの問い合わせが多い情報や、特に重要性の高い情報から優先的に取り組むことができます。
- フィードバックの収集: 実際にやさしい日本語版やピクトグラムを見た来館者から、「分かりやすかったか」「意味が伝わったか」などのフィードバックを収集する仕組みを作り、継続的な改善に繋げます。
- スタッフの理解と協力: スタッフ全員がインクルーシブな情報提供の重要性を理解し、協力して取り組む姿勢が不可欠です。やさしい日本語での対話など、口頭でのコミュニケーションへの配慮も合わせて進められるとより効果的です。
- 他の情報提供手段との組み合わせ: 音声解説、点訳資料、手話動画、触れる模型など、様々な情報提供手段を組み合わせることで、より多くのニーズに対応できるようになります。QRコードを活用した音声解説などは、比較的低コストで導入可能です。
情報源と相談先
やさしい日本語やピクトグラムの導入にあたっては、関連する情報源や専門家を参考にすることが役立ちます。
- やさしい日本語: 文化庁や国際交流協会などが、作成のポイントやガイドラインに関する情報を提供しています。研修会に参加することも有効です。
- ピクトグラム: 日本工業規格(JIS)に定められた案内用図記号などがあります。ウェブサイトでデータが公開されている場合もあります。ユニバーサルデザインやサイン計画を専門とする団体や企業に相談することもできます。
- 専門家や支援団体: ユニバーサルデザインやアクセシビリティに関するコンサルタント、各障害分野の支援団体などは、具体的な方法や個別のケースへの対応についてアドバイスを得られる可能性があります。他のミュージアムでの取り組み事例を尋ねてみるのも良いでしょう。
まとめ
「伝わる」情報提供は、すべての人がミュージアムを楽しむための基盤です。やさしい日本語やピクトグラムの活用は、そのための有効かつ比較的導入しやすい手段と言えます。
これらの取り組みは、特別なことではなく、来館者への「おもてなし」の心を形にする一歩でもあります。限られた予算や人員の中でも、まずはできることから少しずつ始めてみることが大切です。
小さな工夫の積み重ねが、やがてミュージアムを訪れるすべての人にとって、より開かれた、心地よい場所へと繋がっていくはずです。本記事が、皆様のミュージアムづくりにおける一助となれば幸いです。