低予算・少人数でも大丈夫:ミュージアムスタッフのためのインクルーシブ研修の進め方
なぜ、ミュージアムスタッフへのインクルーシブ研修が必要なのでしょうか
ミュージアムは、誰もが安心して訪れ、展示や活動を楽しめる場所であるべきです。この「誰もが」には、年齢、障害の有無、国籍、性別、文化的背景など、さまざまな多様性を持つ人々が含まれます。ハード面の整備はもちろん重要ですが、来館者が最初に接するのは多くの場合、ミュージアムのスタッフです。受付、監視員、解説員、ショップ、カフェのスタッフなど、来館者の体験の質は、スタッフの知識や対応に大きく左右されます。
インクルーシブなミュージアムづくりは、特別な一部の人だけに対応することではなく、「すべての人が楽しめる」というサイトコンセプトの核となる取り組みです。そして、それを実現するためには、スタッフ一人ひとりが多様なニーズを理解し、適切かつ自然な対応ができるようになることが不可欠です。
しかし、特に地方の小規模ミュージアムでは、「研修に充てる予算がない」「研修を企画・実施する人員が足りない」「専門的な知識を持つ人がいない」といった課題に直面することも多いかと存じます。本稿では、こうした限られたリソースの中でも実践可能な、ミュージアムスタッフ向けのインクルーシブ研修の企画・実施方法について具体的にご紹介します。
研修の目的とゴールを設定する
まず、どのような研修を実施したいのか、その目的とゴールを明確にしましょう。漠然と「インクルーシブについて学ぶ」ではなく、より具体的な目標を設定することが重要です。
- 対象者: 誰に対して研修を行いますか。全スタッフ(正規、非正規、パート、ボランティア)ですか、特定の部署ですか。対象者によって必要な知識やスキルは異なります。
- 習得してほしいこと: 参加者に研修後、どのような知識を身につけ、どのような行動ができるようになってほしいですか。
- 例1: 多様な来館者の存在を認識し、一方的な決めつけをしない姿勢を身につける。
- 例2: 車いす利用の方への基本的な声かけや配慮の方法を知り、実践できる。
- 例3: 筆談や分かりやすい言葉での情報提供の具体的な方法を習得する。
- 例4: 聴覚過敏の方への対応として、特定の場所や状況で音量を抑える工夫を学ぶ。
- 達成度: 研修後、参加者が設定したゴールをどの程度達成しているか、どのように確認しますか(アンケート、実践での観察など)。
目的とゴールが明確になれば、研修内容や方法がおのずと見えてきます。
限られたリソースで実践できる研修内容と方法
予算や人員が少ない場合でも実施できる研修には、いくつかの方法があります。一つに絞る必要はなく、複数を組み合わせて実施することも効果的です。
1. 内部講師による基礎研修
学芸員や、既にインクルーシブ対応の知識や経験があるスタッフが講師となり、基礎的な知識や自館でのルール・マニュアルについて研修を行います。「学芸員が実践できる:ミュージアムスタッフのインクルーシブ接遇マニュアル作成ガイド」で作成したマニュアルがあれば、それをテキストとして活用できます。
- 内容例:
- インクルーシブとは何か、なぜミュージアムに必要なのか。
- 来館者の多様性について(様々なニーズの例)。
- 自館のインクルーシブ対応における基本的な考え方や方針。
- 受付、展示室、休憩スペースなど、各持ち場での具体的な対応例(マニュアルの解説)。
- 実施方法:
- 開館前の短時間を利用したミーティング形式。
- 業務時間内に、数名ずつ交代で実施。
- 既存のスタッフ会議や定例会の一部を研修に充てる。
- 講義形式だけでなく、参加者同士で話し合う時間を設ける。
2. ロールプレイングと事例検討
学んだ知識を実践に結びつけるためには、ロールプレイングや具体的な事例の検討が非常に有効です。特別な設備は不要で、スタッフ同士で行うことができます。
- 内容例:
- 車いすの方への声かけから案内までの流れ。
- 視覚に障害のある方への展示解説の工夫。
- 感覚過敏のお子さんへの対応。
- 筆談を希望する方への対応。
- マニュアルにない状況での対応方法を皆で考える。
- 実施方法:
- 少人数のグループに分かれて実践。
- 様々な役割(スタッフ、来館者、介助者)を交代で体験。
- 「もしこんなことが起きたら?」といった具体的な状況設定を用意する。
- ロールプレイング後には、良かった点や改善点を必ず共有し、フィードバックを行う。
- 実際にあった事例(個人が特定できない範囲で)を基に、「どうすればより良く対応できただろうか」を議論する。
3. オンライン学習・資料配布
時間や場所の制約があるスタッフが多い場合、オンライン教材の活用や資料配布が有効です。
- 内容例:
- アクセシビリティに関する基本的な知識をまとめた資料(印刷物、PDF)。
- 外部のNPOや専門機関が提供するオンラインセミナーやウェビナーの紹介。
- インクルーシブな対応に関する短い解説動画(自作または公開されているもの)。
- 「やさしい日本語」のガイドライン。
- 実施方法:
- スタッフ専用の共有フォルダやグループウェアに資料をアップロードする。
- 業務時間の一部をオンライン学習に充てる時間を設ける。
- 推奨する外部の研修情報を定期的に提供する。
- 短い動画を休憩時間に見られるようにする。
4. 当事者の声を聞く機会(可能な範囲で)
最も学びが大きいのは、実際に多様なニーズを持つ方々の声を聞く機会を持つことです。高頻度は難しくても、年に一度や数年に一度でも実施できると理想的です。
- 内容例:
- 障害当事者や子育て経験者などをゲストに招き、ミュージアムでの体験や困りごと、嬉しかった対応などを話してもらう。
- 当事者団体との交流会やワークショップへの参加。
- 実施方法:
- 謝礼や交通費が必要になる場合がありますが、助成金の活用なども検討できます。
- オンラインでの講演や交流も可能です。
- 大人数を集めるのが難しければ、少人数のスタッフが代表で参加し、内容を他のスタッフに共有する形でも良いでしょう。
研修を継続し、定着させるために
一度研修を行っただけで、すべてのスタッフが完璧に対応できるようになるわけではありません。インクルーシブな対応は、日々変化する状況の中で、常に学び、改善していくプロセスです。
- 定期的な復習やアップデート: マニュアルや研修内容は、新しい情報や経験に基づいて定期的に見直し、スタッフに共有します。
- 日々のコミュニケーション: インクルーシブな対応について、スタッフ間で日常的に話し合い、互いに学び合う雰囲気をつくります。「こんな時どうしたらいい?」「あの時の対応は良かったね」といった会話を促します。
- フィードバックの活用: 来館者からの声だけでなく、スタッフ自身が「もっとこうできたら」と感じたことや、対応に困った事例などを集約し、次の研修内容やマニュアルの改善に活かします。
- 成功体験の共有: インクルーシブな対応がうまくいった事例を積極的に共有し、スタッフのモチベーション向上につなげます。
相談先・関連情報
研修内容の企画や、外部講師の依頼を検討する際には、以下のような存在が参考になります。
- NPOや市民団体: 障害分野、子育て支援分野など、多様なニーズに関する専門知識を持つ団体が、研修プログラムを提供していたり、講師を紹介してくれたりする場合があります。地域の団体に相談してみるのも良いでしょう。
- 当事者団体: 特定の障害やニーズを持つ当事者の声を聞く機会について相談できます。
- ユニバーサルデザインやアクセシビリティのコンサルタント: 専門的な立場から、研修プログラムの開発や講師派遣を依頼できる場合があります。費用はかかりますが、質の高い研修を実施できる可能性があります。
- 他のミュージアム: インクルーシブ研修を実施している他のミュージアムに、情報提供や事例共有をお願いしてみるのも参考になります。
まとめ
ミュージアムスタッフへのインクルーシブ研修は、すべての人が楽しめるミュージアムを実現するための重要なステップです。限られた予算や人員の中でも、内部リソースの活用、ロールプレイング、オンライン学習、そして可能な範囲での当事者の声を聞く機会などを組み合わせることで、効果的な研修を実施することは十分に可能です。
一度にすべてを実施しようとするのではなく、まずは目的を明確にし、できることから一歩ずつ始めてみましょう。そして、研修を単発のものではなく、日々の業務の中で継続的に学び、実践していくプロセスとして捉えることが、インクルーシブな応対を定着させる鍵となります。スタッフ一人ひとりが自信を持って多様な来館者に対応できるようになることは、ミュージアム全体の質の向上につながるはずです。