小規模ミュージアムのインクルーシブ化を組織で推進する:学芸員ができる「はじめの一歩」と簡易実践
すべての人が楽しめるミュージアムを目指して:組織で踏み出す「はじめの一歩」
インクルーシブミュージアムの実現は、多くのミュージアムにとって重要な目標となっています。特定の個人だけでなく、あらゆる背景を持つ人々が快適に過ごし、学び、楽しめる空間を提供することは、現代のミュージアムに求められる役割の一つです。しかし、特に地方の小規模ミュージアムにおいては、限られた予算や人員の中で、どこから手をつければ良いのか、どのように館全体を巻き込んでいけば良いのか、といった課題に直面することも少なくないでしょう。
ユニバーサルデザインやアクセシビリティの重要性は理解していても、具体的な実践には組織的な取り組みが不可欠です。学芸員一人が抱え込まず、館全体で意識を共有し、共通の目標に向かって進むことが、持続可能なインクルーシブ化への鍵となります。
この度はお読みいただきありがとうございます。「インクルーシブミュージアムガイド」では、すべての人が楽しめるミュージアムづくりのための情報を提供しています。この記事では、小規模ミュージアムにおいて、学芸員が中心となってインクルーシブ化を組織的に推進するための「はじめの一歩」として、館内での意識啓発と、すぐに取り組める簡易的な実践方法についてご紹介いたします。
なぜ組織で取り組む必要があるのか
インクルーシブ化は、単に物理的な改修や特定のツール導入に留まるものではなく、ミュージアムの運営全体に関わる考え方です。展示、教育普及、広報、受付、清掃、警備といった様々な部署・担当者が、それぞれの持ち場でインクルーシブな視点を持つことで、来館者にとって一貫性のある快適な体験が提供されます。
組織として取り組むことには、いくつかの大きなメリットがあります。
- 持続性: 特定の担当者が異動・退職しても取り組みが継続されやすくなります。
- アイデアの多様化: 多様な視点から改善点や解決策が生まれやすくなります。
- 負担分散: 一部の担当者に過度な負担が集中するのを防ぎます。
- 組織文化の醸成: 「すべての人が楽しめるミュージアムづくり」という理念が館全体に根付きます。
学芸員は展示や資料に関する専門知識を持つだけでなく、来館者のニーズに触れる機会も多いため、インクルーシブ化推進の重要な役割を担うことができます。館の状況を最もよく理解している学芸員だからこそできる、組織への働きかけがあります。
学芸員ができる「はじめの一歩」(館内意識啓発)
限られた人員の中で、全職員・関係者の意識を一度に大きく変えることは難しいかもしれません。しかし、小さなことから着実に意識を高めていくことは可能です。以下に、学芸員ができる意識啓発の「はじめの一歩」をいくつか提案します。
1. 短時間勉強会の実施
専門家を招いた大規模な研修が難しくても、職員向けに短い時間(例:開館前の15分、休憩時間の一部)で実施できる勉強会は有効です。
- テーマ例: 「私たちのミュージアムに来館する多様な人々とは?」「ほんの少しの言葉遣いの工夫で変わること」「あの来館者の声から学べること」
- 内容:
- インクルーシブ化に関する基本的な考え方を分かりやすく説明する。
- ウェブサイトや書籍で紹介されている他のミュージアムの取り組み事例を共有する。
- アクセシビリティに関する短い動画資料を視聴する。
- 来館者から寄せられた意見(良いもの、改善要望どちらも)を共有し、皆で考える機会を持つ。
- ポイント: 一方的な講義ではなく、参加者が短い意見交換や質問をしやすい雰囲気づくりを心がけます。定期的に実施することで、意識が定着しやすくなります。
2. 情報の「見える化」と共有
インクルーシブ化に関する情報を、いつでも誰でもアクセスできる形にして共有します。
- 共有方法:
- 館内ポータルサイトや共有フォルダに、関連資料(記事、ガイドライン、チェックリストなど)をまとめて置く。
- 休憩室などに、インクルーシブ化に関する書籍やパンフレットを置く。
- 職員向けのニュースレターや掲示板で、インクルーシブ化に関する最新情報や取り組み事例を紹介する。
- ポイント: 硬い資料だけでなく、写真や図解が多いもの、短く分かりやすいものを選ぶと、手に取ってもらいやすくなります。
3. 簡易的な現状チェックの実施
インクルーシブ化の第一歩は、自分たちのミュージアムの現状を把握することです。外部の専門家による詳細な診断が難しくても、簡易的なチェックリストを用いて館内で確認作業を行うことは十分に可能です。
- チェックリスト例:
- 入口から展示室までの移動経路に段差や妨げはないか。
- 案内表示は分かりやすいか、文字サイズは適切か。
- 休憩できる場所はあるか。
- 車椅子利用者やベビーカー利用者が利用しやすいトイレはあるか。
- 展示キャプションの文字サイズ、コントラストは適切か。
- スタッフは多様な来館者への基本的な対応方法を知っているか。
- ポイント: 全員でチェックする必要はありません。担当部署ごとに該当箇所を確認してもらい、結果を持ち寄って共有するだけでも、多くの気づきが得られます。簡易的なチェックリストは、既存のガイドラインなどを参考に、自館に合わせて作成することができます。
4. 「一日インクルーシブ体験」(簡易版)
例えば、職員同士で車椅子に乗って館内を移動してみる、片耳を塞いで展示解説を聞いてみる、といった簡易的なシミュレーションを行うことで、当事者の困難を疑似体験し、気づきを促すことができます。
- ポイント: 大がかりな準備は不要です。体験後に短い感想共有の時間を設けるだけでも、意識の変化につながります。安全には十分配慮して実施します。
学芸員ができる「簡易実践」(すぐに取り組めること)
意識啓発と並行して、すぐに取り組める簡易的な改善を実践し、成功体験を積み重ねることも重要です。予算をかけずにできることも多数あります。
- 物理的な改善:
- 通路に置かれた備品や展示物の位置を見直し、十分な幅を確保する。
- 休憩スペースを明示し、椅子の配置を調整する。
- 床の段差や危険箇所に注意喚起のサインを貼る。
- 情報提供の改善:
- ウェブサイトに、館のバリアフリー情報(入口の段差、エレベーターの有無、多目的トイレなど)を分かりやすく記載する(写真付きだとより親切です)。
- 展示キャプションの文字サイズが小さい場合は、リーフレット等でより大きな文字の情報を提供する。
- 館内案内やキャプションに、分かりやすいピクトグラムを追加できないか検討する。
- 「やさしい日本語」での情報提供を試みる(例えば、来館案内の一部を簡単な言葉で記述するなど)。
- コミュニケーション・サービスの改善:
- 受付や案内で利用できる筆談ボードやコミュニケーションボードを用意する。
- 聴覚障害のある方へ向けた、展示解説の文字情報を印刷したシートを準備する。
- 光や音に敏感な方向けに、落ち着ける場所の情報を提供する。
- スタッフ間で、声かけの方法や配慮に関する簡単な申し合わせを行う。
- 既存リソースの活用:
- ユニバーサルデザインやアクセシビリティに関する公的機関や団体のウェブサイトには、無料で利用できるチェックリストやガイドラインが公開されています。これらを参考に、自館の取り組みに活かすことができます。
- 他のミュージアムがウェブサイト等で公開しているインクルーシブ化の事例を参照し、自館で応用できそうなアイデアを探します。
これらの「簡易実践」は、大きな予算や専門知識がなくても、日々の業務の中で気づいた点から少しずつ取り組むことができます。そして、これらの取り組みは、必ずしも障害のある方だけのためではなく、高齢の方、小さなお子さん連れの方、日本語が母語でない方など、多様な来館者全体の快適性向上につながります。
組織文化への定着に向けて
「はじめの一歩」を踏み出した後は、その取り組みを継続し、組織文化として定着させていくことが目標となります。
- 成功体験の共有: 小さな改善でも、来館者から感謝されたり、スタッフが手応えを感じたりした事例を積極的に共有します。成功体験は、次のステップへのモチベーションとなります。
- 関係部署との連携: 受付、警備、清掃など、来館者と直接接する機会が多い部署との連携を強化します。インクルーシブ化に関する情報共有や、困りごとの相談、アイデア交換などを定期的におこないます。
- 経営層への報告と提案: 実施した取り組みとその効果(来館者の反応、スタッフの意識変化など)を経営層に報告します。これにより、今後のインクルーシブ化に向けた予算確保や体制整備の理解を得やすくなります。
インクルーシブ化は、一度行えば完了するものではありません。来館者のニーズは多様であり、社会の変化に合わせてミュージアムも進化し続ける必要があります。継続的な意識啓発と実践を通じて、組織全体でインクルーシブな視点を持ち続けることが重要です。
さらに進めるために
より専門的な知識が必要になった場合や、大規模な改善を検討する際には、外部の専門家や団体への相談も有効です。
- 情報源:
- 障害当事者の団体
- ユニバーサルデザインやアクセシビリティを専門とするコンサルタントや研究者
- 他のインクルーシブ化に取り組むミュージアム
- 自治体の福祉担当部署
- 参考: 関連する専門家や団体との連携方法については、「学芸員一人で抱え込まない:インクルーシブ化のための専門家・団体との連携ガイド」の記事もご参照ください。
最初から完璧を目指す必要はありません。「すべての人が楽しめるミュージアムにしたい」という思いを共有し、できることから少しずつ始めていくことが何よりも大切です。
まとめ
小規模ミュージアムにおいて、インクルーシブ化を組織で推進するための「はじめの一歩」は、特別なことではなく、日々の業務の中で意識を変え、小さな工夫を積み重ねていくことから始まります。学芸員は、その推進役として、館内の意識啓発や簡易的な実践を通じて、組織全体の方向付けに大きく貢献できます。
この記事でご紹介した「はじめの一歩」や「簡易実践」が、皆様のミュージアムでインクルーシブ化を組織的に進めるための一助となれば幸いです。すべての人が心豊かに過ごせるミュージアムづくりを、共に進めていきましょう。