感覚の小さなバリアを取り除く:展示空間の音、光、匂いを低予算で調整する工夫
なぜ展示空間の「感覚環境」が大切なのでしょうか
ミュージアムの展示空間は、視覚情報が中心と思われがちですが、実は音、光、匂い、温度、混雑度など、さまざまな感覚情報が複雑に絡み合っています。これらの感覚環境は、来館者一人ひとりの心地よさや展示への没入感に大きく影響します。
特に、感覚過敏のある方や発達障害のある方、あるいは単純に特定の感覚刺激に疲れやすい方にとって、意図しない大きな音、眩しい光、不快な匂いなどは、来館の妨げになったり、滞在を困難にしたりする「小さなバリア」となり得ます。
すべての人が安心して、心地よく展示を楽しめるようにするためには、このような感覚環境にも配慮を向けることが重要です。地方の小規模ミュージアムでは、大規模な改修や専門的な設備導入は難しい場合が多いかと思いますが、限られた予算や人員でも取り組める工夫はたくさんあります。
地方小規模ミュージアムが直面する課題と可能性
多くの地方小規模ミュージアムでは、専任の学芸員や専門スタッフが限られており、大規模な改修予算を確保することも容易ではありません。ユニバーサルデザインやアクセシビリティの重要性は理解していても、「何から手をつければ良いか」「費用がかかりすぎるのでは」と躊躇されることもあるかと存じます。
しかし、展示空間の感覚環境への配慮は、必ずしも高価な設備を必要とするものではありません。既存の設備を工夫して活用したり、運用方法を見直したり、あるいは情報提供の方法を改善したりすることで、着実な一歩を踏み出すことが可能です。小規模だからこそ、きめ細やかな対応がしやすいという側面もあります。
低予算で取り組める具体的な工夫
ここでは、展示空間の感覚環境をインクルーシブにするために、比較的低予算で取り組める具体的な工夫をいくつかご紹介します。
1. 音の調整
- BGMの見直し: BGMを流している場合、その音量や種類、流すエリアを検討します。常時 BGM を流す必要がない場合は止めたり、特定の静かに鑑賞したいエリアでは音量を下げたり、環境音に近い落ち着いた音源を選んだりします。
- 騒音源の特定と対策: エアコンや換気扇の音、外部からの騒音、特定の展示機器から発生する音などを確認します。可能であれば、簡単な吸音材を設置したり、配置を工夫したりすることで軽減できないか検討します。
- 静かなエリアの確保・周知: 賑やかな展示エリアから離れた場所に、静かに休憩できるスペースを設けるか、既存の休憩スペースを静かに過ごせる場所として案内します。ウェブサイトや館内サインで「静かなスペース」「落ち着ける場所」として明記すると、安心して利用できます。
- 混雑時の情報提供: イベント開催時など、一時的に音量が増す可能性がある場合は、事前にウェブサイトなどでその旨を告知します。
2. 光の調整
- 照明の明るさ・色: 展示物の保護のために照度基準は重要ですが、来館者の移動経路や休憩スペースなど、展示物そのもの以外の場所の照明は、可能な範囲でまぶしすぎない、あるいは暗すぎないよう調整します。LED電球の色温度を調整するだけでも印象は変わります。
- 反射光の対策: 照明や自然光が床、壁、展示ケースなどに反射して眩しい場所がないか確認します。展示ケースの角度調整や、反射しにくい素材の利用(難しい場合は案内や注意喚起)を検討します。
- 暗い場所への配慮: 一部の展示で照明を落としている場合、足元など安全な移動に必要な場所には十分な明るさを確保します。あるいは、必要な方に小型ライトの貸し出しを検討します。
- 自然光の活用と制御: 自然光は心地よい反面、時間帯によって眩しくなったり、展示物に影響を与えたりします。カーテンやブラインドで適切に制御できると良いですが、難しい場合は、時間帯による光の変化をウェブサイトなどで案内することも有効です。
3. 匂いの調整
- 不快な匂いの原因特定: 清掃用品、建材、換気の問題、特定の展示物など、不快な匂いの原因がないか確認します。清掃方法の見直しや、換気の徹底で改善できる場合があります。
- 芳香剤の使用見直し: 良い香りを意図して芳香剤を設置している場合でも、特定の匂いに敏感な方もいらっしゃいます。使用をやめるか、匂いのしないものに切り替えることを検討します。
- 展示物の匂いへの配慮: 資料や展示物によっては独特の匂いがある場合があります。必要に応じて、その匂いに関する情報を添えたり、換気を強化したりします。
4. 混雑・空間への配慮
- 混雑予測の情報提供: ウェブサイトなどで、曜日や時間帯による混雑予測を提供します。
- 混雑緩和の工夫: 可能であれば、特定エリアへの入場制限や、予約システムの導入を検討します。
- パーソナルスペースの確保: 展示物間の通路幅や、展示物を鑑賞する際の適切な距離感について、サインやスタッフの案内で示唆します。
- 一時的な退出・休憩スペース: 展示空間から一時的に離れて落ち着ける場所(静かな休憩室、ベンチなど)を明確に示し、案内します。
実施上の考慮点と継続的な改善
これらの工夫を検討する際は、以下の点を考慮すると良いでしょう。
- 優先順位の設定: 全てを一度に行うのは困難です。来館者からの意見やスタッフの気づきをもとに、最も必要とされている、あるいは最も実施しやすいことから優先的に取り組みます。
- スタッフ間の情報共有と連携: 受付、展示室、清掃担当など、関係するスタッフ間で情報共有を行い、共通理解を持って対応にあたることが重要です。簡単なマニュアルを作成することも有効です。
- 来館者の声を聞く: 実際に来館された方の声(アンケート、意見箱、スタッフへの直接の声など)は、改善のための貴重なヒントになります。積極的に耳を傾け、改善に活かしましょう。
- 情報発信の重要性: 実施した工夫については、ウェブサイトやSNS、館内サインなどで積極的に情報発信します。「このような配慮をしています」と伝えることで、安心して来館できる方が増えます。
より深く学ぶために:関連情報や相談先
展示空間の感覚環境やアクセシビリティについて、さらに学びたい場合や専門的な助言が必要な場合は、以下のような情報源や相談先を検討してください。
- バリアフリー・ユニバーサルデザイン関連団体: NPO法人など、バリアフリーやユニバーサルデザインに関する情報提供やコンサルティングを行っている団体があります。
- 障害当事者団体: 特定の障害(感覚過敏、発達障害、視覚・聴覚障害など)に関する当事者団体は、実践的なニーズや配慮について具体的な情報を提供してくれます。協働の可能性を探ることも重要です。
- 専門家: 建築家(特にユニバーサルデザインに詳しい方)、福祉施設の設計に関わる専門家などが参考になる場合があります。
- 他のミュージアムの事例: 既に感覚アクセシビリティに取り組んでいる他のミュージアムのウェブサイトやレポートを参考にすることも有効です。
まとめ
展示空間の感覚環境に配慮することは、すべての来館者がより快適に、そして深くミュージアム体験を享受するために不可欠な要素です。地方の小規模ミュージアムでは、予算や人員に制約があるかと思いますが、ここでご紹介したような低予算で可能な工夫から一歩ずつ取り組みを始めることができます。
重要なのは、「すべての人が楽しめるミュージアムづくり」という目標に向かって、継続的に改善を続けることです。来館者の声に耳を傾け、スタッフと連携しながら、心地よい展示空間づくりを進めていただければ幸いです。