ミュージアム展示室での多様なコミュニケーション支援:低予算で始める筆談・簡易ツール活用法
すべての来館者が「伝わる」を実感できる展示室を目指して
インクルーシブなミュージアムづくりにおいて、展示室でのコミュニケーションは非常に重要な要素の一つです。来館者が展示物について質問したいとき、解説が理解しにくいとき、あるいは単にスタッフに声をかけたいときなど、様々な場面でスムーズなコミュニケーションが求められます。しかし、聴覚に特性のある方、コミュニケーションに不安を感じる方、外国語を母語とする方など、多様なニーズを持つ来館者にとって、一般的な口頭でのコミュニケーションだけでは十分ではない場合があります。
特に地方の小規模ミュージアムでは、専門的なコミュニケーション支援機器の導入や手話通訳者の常駐などは予算的・人員的に難しいと感じられるかもしれません。しかし、限られたリソースの中でも実践できる、効果的なコミュニケーション支援の方法は存在します。この記事では、展示室における多様なコミュニケーションを支えるための、低予算で実現可能な具体的な方法やツールについてご紹介します。
なぜ展示室でのコミュニケーション支援が重要なのか
展示室は、来館者が最も展示物と深く向き合い、学びや感動を得る空間です。ここでコミュニケーションのバリアがあると、以下のような課題が生じる可能性があります。
- 情報へのアクセス不足: スタッフに質問したい内容が伝えられない、解説を聞き取れない、などの理由で展示への理解が深まらない。
- 不安感の増大: コミュニケーションが円滑にできないことへの不安から、スタッフへの声かけを躊躇したり、滞在自体を諦めたりする。
- 孤立感: 周囲の来館者がスタッフと気軽に話している中で、自分だけが蚊帳の外に置かれているような感覚を覚える。
これらの課題を解消し、「すべての人が楽しめる」ミュージアムを実現するためには、多様なコミュニケーション手段を提供し、来館者が自分に合った方法で安心してコミュニケーションをとれる環境を整備することが不可欠です。
低予算で始める具体的なコミュニケーション支援策
ここでは、特別な設備や専門知識がなくても、比較的容易に導入できるコミュニケーション支援策をご紹介します。
1. 筆談の活用とスタッフの意識向上
最もシンプルかつ効果的な方法の一つが筆談です。
- 筆談用ツールの常備:
- 展示室のスタッフ配置場所や、質問を受け付ける可能性のある場所に、筆談用のツール(ノートとペン、ホワイトボードとマーカー、バインダー付きのメモ用紙など)を常備します。持ち運びしやすい小型のものが便利です。
- これらのツールが利用可能であることを示すピクトグラムや簡単な案内表示をスタッフ配置場所に掲示することも有効です。
- スタッフへの簡易研修:
- 筆談対応に慣れていないスタッフもいるかもしれません。筆談は口頭での会話と異なり、簡潔かつ明確な表現が求められます。スタッフ間で筆談の練習を行ったり、対応のポイント(例えば、「はい」「いいえ」で答えられる質問を心がける、専門用語を避ける、ゆっくり丁寧に書くなど)を共有したりする簡易研修を行うことが有効です。
- 「筆談でも対応できます」という意思表示をスタッフが積極的に行うことも大切です。
2. スマートフォンやタブレットの活用
来館者自身やスタッフが所持しているスマートフォンや、ミュージアムで準備した安価なタブレット端末を活用することも可能です。
- 音声認識アプリの利用:
- UDトークなどの音声認識アプリを利用すると、スタッフが話した内容をリアルタイムで文字化し、画面に表示することができます。聴覚に障害のある方とのコミュニケーションに非常に役立ちます。無料プランや比較的安価なプランでも基本的な機能は利用可能です。
- 利用にあたっては、周囲の雑音の影響を受けやすい点や、専門用語や固有名詞の認識精度に限界がある点を理解しておく必要があります。事前に簡単なテスト運用を行うと良いでしょう。
- 翻訳アプリの利用:
- 多言語対応の翻訳アプリは、外国人来館者とのコミュニケーションに役立ちます。音声入力・出力に対応したものが便利です。
- 文字入力・表示機能の活用:
- タブレット端末を用意し、大きな文字で来館者に文字入力してもらったり、スタッフが入力した文字を表示したりするツールとして活用できます。キーボード入力が難しい方のために、手書き入力機能が使えるアプリなどを入れておくことも考えられます。
3. コミュニケーションボードや指差しシート
展示に関するよくある質問や、基本的なニーズ(例:「休憩したい」「トイレに行きたい」「出口はどこですか?」)に対応できるよう、絵や文字、ピクトグラムを使ったコミュニケーションボードや指差しシートを作成しておくことも有効です。
- 視覚的に分かりやすく、言葉でのやり取りが難しい場合でも、指差しで意思を伝えることができます。
- 多言語対応のシートを作成すれば、外国人来館者にも役立ちます。
- ダウンロード可能なテンプレートなども公開されていますので、参考に作成してみてください。
実施上の考慮点
これらのツールや方法を導入・運用する際には、以下の点を考慮することが重要です。
- スタッフ研修の継続: ツールを使えるようにするだけでなく、多様なコミュニケーションニーズを持つ来館者への理解を深める研修を継続的に行うことが、安心感のある対応につながります。
- 利用方法の周知: 筆談対応が可能であること、利用できるツールがあることなどを、ウェブサイトのアクセシビリティ情報ページや、館内の入口付近に分かりやすく表示します。スタッフが積極的に声をかけることも大切です。
- プライバシーへの配慮: 音声認識アプリなどを使用する際は、会話内容が意図せず周囲に聞こえたり、データとして記録されたりしないよう、利用場所や方法に配慮が必要です。
- 来館者からのフィードバック: 実際にこれらの支援を利用した来館者から感想や要望を伺い、改善に繋げていく姿勢が重要です。
さらに情報を深めるには
コミュニケーション支援に特化したNPO団体や、障害当事者の団体などが、具体的なツールの活用法や、より専門的な対応方法について情報提供や研修を行っている場合があります。また、他のミュージアムで実践されている事例を調べることも参考になります。
また、ユニバーサルデザインやアクセシビリティに関する書籍やウェブサイトでも、コミュニケーションに関する基本的な考え方や具体的な工夫について学ぶことができます。
まとめ
ミュージアムの展示室における多様なコミュニケーション支援は、すべての来館者が展示体験を存分に楽しむために不可欠です。予算や人員に限りがある小規模ミュージアムでも、筆談の活用、簡易なデジタルツール、コミュニケーションボードなどを組み合わせることで、大きな改善が期待できます。
大切なのは、「すべての人が安心してコミュニケーションできる空間を作りたい」という思いを持ち、小さな一歩から実践を始めることです。そして、来館者の声を聞きながら、継続的に改善を重ねていく姿勢が、真にインクルーシブなミュージアムへと繋がっていくでしょう。