学芸員が知っておきたい:インクルーシブな来館を支える具体的なツールと活用法(低予算・少人数向け)
すべての人が楽しめるミュージアムのために:ツールの役割
インクルーシブなミュージアムづくりにおいて、物理的な環境整備や情報提供の工夫は重要ですが、それに加えて、来館者が抱える「その場の困りごと」に具体的に対応できるツールの存在も、快適な体験を支える上で大きな役割を果たします。しかし、地方の小規模ミュージアムでは、専門的な知識や多額の予算、多くの人員をかけることが難しいと感じる学芸員の方もいらっしゃるかもしれません。
本記事では、そうした状況でも実践可能な、インクルーシブな来館を支える具体的なツールと、その低予算での導入方法、そして日々の運営での活用法についてご紹介します。これらのツールは、特定の障害のある方に限らず、一時的に体調が優れない方、日本語でのコミュニケーションに不安がある方など、多様な来館者の助けとなります。
来館者の「困った」に寄り添うツールの可能性
来館者がミュージアムで直面する困りごとは多岐にわたります。例えば、
- 受付でうまく意思表示ができない
- 展示解説の文字が小さくて読めない
- 長時間立ち続けているのが辛い
- 周囲の音や光が気になる
- 急に体調が悪くなったが、どう伝えて良いか分からない
- 多言語での案内が必要だが、スタッフが対応できない
これらの困りごとに対し、適切なツールを整備・活用することで、来館者は安心してミュージアムを利用できるようになります。重要なのは、高価で特別なものである必要はなく、身近なものや少しの工夫で導入できるツールが数多く存在するという点です。
低予算で導入できる具体的なツール例と活用法
ここでは、比較的容易に導入でき、多様な場面で役立つ具体的なツールをいくつかご紹介します。
1. コミュニケーション支援ツール
- 筆談ボード・コミュニケーションボード:
- 目的: 声でのやり取りが難しい方(聴覚障害、音声・言語機能障害、発達障害などで会話に困難がある方、外国語話者など)との意思疎通を助けます。
- 導入: ホワイトボードやマグネットボードとペン、あるいは単に紙とペンを用意するだけでも十分です。市販の「コミュニケーション支援ボード」(絵カードと文字を組み合わせたもの)も比較的安価なものがあります。スマートフォンのメモアプリや翻訳アプリを活用することもできます。
- 活用: 受付カウンターに常備し、必要に応じてスタッフが提示・使用します。絵カード式のものは、よくある質問(「チケット」「トイレ」「出口」など)を図で示せるため便利です。
- 考慮点: スタッフ全員がツールの存在を知り、ためらわずに使用できるような簡単な研修やマニュアル共有が有効です。
2. 情報アクセス支援ツール
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拡大鏡・ルーペ:
- 目的: 展示解説の文字が小さくて読みにくい方(弱視、高齢者など)のために、文字を拡大して提示します。
- 導入: 100円ショップなどで入手できる簡易的なものでも、多くの方の役に立ちます。博物館のロゴや簡単な使い方説明をつけたものを複数用意すると良いでしょう。
- 活用: 受付や案内カウンターで貸し出し備品として用意します。展示室内の特定の場所に備え付けておくことも検討できます。
- 考慮点: さまざまな倍率のものを用意できると、より多くのニーズに対応できます。
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簡易音声ガイド(スマートフォン活用):
- 目的: 展示解説を音声で聞きたい方(視覚障害、読字困難など)のために、文字情報を音声で提供します。
- 導入: ミュージアムのウェブサイトに音声ファイルを掲載したり、QRコードを展示キャプションや案内に添付したりすることで、来館者自身のスマートフォンで聞けるようにします。テキスト情報を読み上げるウェブサイトの機能やアプリを活用することも可能です。
- 活用: 展示室の入口や各展示物の近くに案内表示やQRコードを設置します。音声コンテンツの内容は、既存の解説文を読み上げたものでも良いですが、より分かりやすく、情景描写を加えるなどの工夫があると理想的です。
- 考慮点: スマートフォンを持たない方への対応(簡易的な音声プレイヤーの貸し出しなど)も検討できるとより良いですが、まずはスマートフォン利用を前提とした導入は低予算で可能です。
3. 快適性支援ツール
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簡易的な座席・休憩用マット:
- 目的: 長時間歩いたり立ち続けたりするのが難しい方(高齢者、妊婦、体調不良者、内部障害のある方など)のために、一時的な休憩場所を提供します。
- 導入: 折りたたみ椅子を複数購入したり、床に敷く簡易的なクッションやマットを用意したりします。既存のベンチや椅子に「ご自由にお使いください」といった表示をつけるだけでも良いでしょう。
- 活用: 展示室内の動線の邪魔にならない場所や、人が滞留しやすい場所に設置します。利用できる場所を館内マップで示すことも有効です。
- 考慮点: 必要に応じてスタッフが声かけをしたり、座席の利用を勧めたりすることも重要です。
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イヤーマフ・ノイズキャンセリングヘッドホン:
- 目的: 周囲の音に敏感な方(感覚過敏、発達障害、聴覚過敏など)のために、音刺激を軽減します。
- 導入: 防音性の高いイヤーマフや、比較的安価なノイズキャンセリングヘッドホンを数個購入します。
- 活用: 受付で貸し出し備品として用意します。利用できることをウェブサイトや館内案内で周知します。
- 考慮点: 全ての音を遮断するわけではないため、火災報知機などの緊急音は聞こえるか確認が必要です。衛生面への配慮(消毒)も大切です。
4. 「見えない困りごと」への対応
- ヘルプマーク・ヘルプカードの周知と対応:
- 目的: 外見からは分からなくても援助や配慮を必要としている方がいることをスタッフが認識し、適切な対応(声かけ、席を譲る、筆談対応など)ができるようにします。
- 導入: スタッフ向けの研修や情報共有を行います。ヘルプマークやヘルプカードがどのようなもので、どのような配慮が必要とされる可能性があるのかを理解します。
- 活用: ヘルプマーク等をつけている方を見かけたら、「何かお困りですか?」など、声かけのきっかけとします。具体的な支援内容がヘルプカードに記載されている場合があるので、提示されたら確認します。
- 考慮点: 来館者にヘルプマーク等の提示を強制するものではありません。あくまでスタッフ側の理解と対応の準備が重要です。
実施上の考慮点
ツールの導入にあたっては、以下の点を考慮するとより効果的です。
- ニーズの把握: どのような困りごとが多いか、実際に来館者に尋ねたり、他のインクルーシブなミュージアムの事例を参考にしたりして、必要なツールを選定します。
- スタッフへの周知と研修: 導入したツールがどこにあり、どのように使うのかを全スタッフが理解していることが最も重要です。ロールプレイングなどを通じて、実際の対応方法を学ぶ機会を設けることも有効です。
- 分かりやすい表示と案内: 導入したツールがあることを、館内案内、ウェブサイト、SNSなどで積極的に周知します。「ご希望の方はお声かけください」といった案内も大切です。
- 利用状況の確認と改善: 導入後もツールの利用状況を確認し、使いにくい点はないか、他にどのようなツールが必要かなどを継続的に検討します。
- 予算に合わせた段階的な導入: 一度に全てを揃える必要はありません。予算に合わせて、必要性の高いものから段階的に導入していくことが現実的です。100円ショップやホームセンター、通販サイトなども活用し、費用を抑える工夫をします。
まとめ
インクルーシブなミュージアムづくりは、大掛かりな改修だけでなく、こうした小さなツールの導入と適切な活用によっても大きく前進できます。具体的なツールを用意し、スタッフがそれを活用できる体制を整えることは、来館者の安心感を高め、「また来たい」と思ってもらえるミュージアムになるための重要な一歩です。限られた予算や人員の中でもできることから取り組み、すべての人が快適に楽しめるミュージアムを目指しましょう。
さらに詳しい情報や、特定のニーズへの対応については、障害者支援団体やアクセシビリティに関する専門家、あるいは他のミュージアムの担当者に相談してみることも有効な手段です。