誰もが楽しめる学びを:インクルーシブなミュージアム教育普及プログラムの具体的な企画と実践
インクルーシブな教育普及プログラムを目指して
ミュージアムの重要な機能の一つに、教育普及活動があります。展示を通して得られる体験や学びを深め、来館者の知的好奇心を育む教育普及プログラムは、多くのミュージアムで企画・実施されています。しかし、「すべての人」がこれらのプログラムに参加し、十分にその恩恵を受けられているでしょうか。年齢、障害の有無、言語、文化的背景など、様々な多様性を持つ人々にとって、既存のプログラムが必ずしも参加しやすい形式になっているとは限りません。
特に地方の小規模ミュージアムでは、予算や人員に限りがある中で、どのようにすればインクルーシブな教育普及プログラムを実現できるのか、具体的な方法について悩みを抱える学芸員の方も少なくないことと思います。この課題に対し、本記事では、インクルーシブな教育普及プログラムを企画し、実施するための具体的なステップと、限られたリソースの中でも実践可能なアイデアをご紹介いたします。
インクルーシブな教育普及プログラムとは
インクルーシブな教育普及プログラムとは、特定の属性や能力に関わらず、すべての人が平等に参加し、それぞれの方法で学びや体験を得られるように配慮されたプログラムのことです。単に「障害のある人も参加できます」とするだけでなく、プログラムの内容、形式、告知方法、実施環境、サポート体制など、あらゆる側面において多様なニーズを想定し、可能な限り参加への障壁を取り除くことを目指します。
これは、特別なプログラムを別途用意することだけを意味するわけではありません。既存のプログラムを、より多くの人が参加できるように改善することも重要なアプローチです。
企画段階で考慮すべきこと
インクルーシブなプログラムを企画するにあたり、以下の点を考慮することが出発点となります。
1. 参加対象者の多様性を想定する
どのような人が参加する可能性があるかを幅広く想定します。子供から高齢者まで、障害のある方(視覚障害、聴覚障害、肢体不自由、発達障害、知的障害、精神障害など)、日本語を母語としない方、様々な文化的背景を持つ方など、多様な背景を持つ人々が参加することを前提に考えます。特定の対象に絞ったプログラムであっても、その対象者の中での多様性(例:一口に高齢者と言っても体力や経験は様々であること)を忘れてはなりません。
2. 目標と内容を明確にする
プログラムを通して参加者にどのような学びや体験を得てほしいのか、目標を明確にします。そして、その目標達成のために、どのような展示物や資料を活用し、どのような情報を提供するのかを検討します。この際、一つの情報や理解の仕方に固執せず、多様なアプローチが可能か考えます。
3. 情報提供の方法を多様化する
プログラムの告知や、当日の進行に関する情報は、様々な方法で提供します。 * ウェブサイト、SNS、チラシなど、複数の媒体を使用します。 * ウェブサイトやSNSでの告知は、アクセシビリティに配慮します(画像に代替テキストを入れる、動画に字幕を付けるなど)。 * チラシには大きな文字を使用したり、シンプルなデザインにしたりすることを検討します。 * 問い合わせ先として、電話番号だけでなく、メールアドレスやFAX番号を併記することも有効です。 * プログラムの内容や参加方法を、可能な限り平易な言葉で、具体的に記述します。
4. プログラム形式の検討
どのような形式が、想定される参加者にとって最も参加しやすいかを検討します。 * 一方的なレクチャー形式か、対話や体験を取り入れた形式か。 * 長時間のプログラムか、短時間で区切るか。 * 屋内で座って行うか、館内を移動するか。 * 個人参加か、グループワークか。
参加者の集中力や体力、移動の負担などを考慮し、休憩時間の確保や、途中で退席できるスペースの確保なども検討します。
5. 必要なサポート体制を想定する
どのようなサポートが必要か、事前に想定し準備します。 * 車椅子スペースの確保 * 筆談や手話通訳、要約筆記の必要性(専門家への依頼が必要か) * 介助者や補助犬の同伴に関する情報提供 * 触れることができる資料や、大きな文字の資料の準備 * 静かに過ごせるスペースの確保(感覚過敏の方など) * 日本語以外の言語での対応(多言語ツールやボランティアの検討)
事前の申し込み時に、必要なサポートについて尋ねる項目を設けることも有効です。
実施上の具体的な考慮点とアイデア
企画したプログラムを実際に実施する際に、小規模ミュージアムでも比較的容易に実践できる具体的な工夫やアイデアをご紹介します。
1. 空間の準備と環境調整
- 移動経路の確認: プログラムで使用する場所までの経路に段差や障害物がないか確認します。難しい場合は迂回路を案内できるように準備します。
- スペースの確保: 車椅子利用者や、補助犬同伴者のための十分なスペースを確保します。ベビーカー置き場なども検討します。
- 照明・音: 必要に応じて照明の明るさを調整したり、周囲の騒音を減らす工夫をしたりします。聴覚情報が中心の場合は、静かな場所を選びます。
- 休憩スペース: プログラム参加者が自由に利用できる休憩スペースや椅子を用意します。
2. プログラム進行の工夫
- 分かりやすい言葉遣い: 専門用語は避け、平易な言葉で説明します。難解な場合は、簡単な補足説明を加えます。
- 複数の伝達方法: 口頭での説明だけでなく、文字情報(パワーポイント、フリップなど)、写真、図、実物などを組み合わせて情報を伝えます。
- ゆっくりとしたペース: 全員が理解できるよう、ゆっくりとしたペースで進行します。質問の時間を十分に設けます。
- ジェスチャーや視覚的な合図: 聴覚情報が伝わりにくい参加者のために、身振り手振りや視覚的な合図を効果的に使用します。
- 休憩のタイミング: 適度に休憩を挟み、参加者の集中力や体力を考慮します。
3. 教材・補助具の準備
- 触れる教材: 可能であれば、展示物の一部(レプリカ、素材サンプルなど)や関連資料で、実際に触れて確認できるものを用意します。
- 大きな文字の資料: 配布資料がある場合は、文字サイズを大きくしたものを準備します。図や写真も大きく鮮明にします。
- 簡単な筆記用具: 必要に応じて、書きやすい筆記用具や下敷きなどを準備します。
- 補助的なツール: 拡大鏡、リーディングルーペ、聴覚補助器具(必要に応じて)などを準備、または利用可能な情報を提供します。
4. スタッフの対応と連携
- 簡単な研修: プログラムに関わるスタッフ(常勤職員、パート、ボランティア)に対し、インクルーシブな対応に関する基本的な研修を行います。多様な来館者がいること、サポートが必要な場合があること、声かけの方法などを共有します。
- 役割分担: サポートが必要な参加者がいた場合に誰がどのように対応するか、役割分担を決めておきます。
- 柔軟な対応: 参加者の状況に応じて、プログラムの内容や進行を柔軟に変更できるように準備しておきます。
5. 予算・人員が限られる場合のアイデア
- 既存の展示・資料を最大限に活用: 新しい教材作成に費用をかけず、既存の展示解説パネルを読み上げたり、保管資料の一部を特別に公開したりするなど、今あるリソースを活用します。
- 短い時間で集中: 長時間のプログラムは準備や負担が大きい場合、15分や30分程度の短いプログラムを複数回実施する方が現実的な場合があります。
- ボランティアの活用: 学生ボランティアや地域の高齢者ボランティアなどに、受付や簡単な案内のサポートをお願いできないか検討します。ただし、ボランティアへの研修は必須です。
- 他の機関との連携: 特別支援学校や地域の福祉施設、市民団体などと連携し、共催や協力という形でプログラムを実施することで、企画・実施の負担を分担できる場合があります。
- 手作りの教材: 高価な機器を使わず、段ボールや布など身近な素材を使って、触れる教材や分かりやすい掲示物を作成します。
- オンラインツールの活用: 事前の情報提供や、プログラムの一部の内容紹介に、無料または低コストのオンラインツール(SNS動画、ブログなど)を活用します。
事例と学びの機会
特定の事例を挙げることは難しい場合でも、例えば以下のような実践が考えられます。
- ある歴史系ミュージアムでは、難解な古文書の解読プログラムにおいて、専門家による解説に加え、古文書の拡大コピー、関連する写真、触れることができる和紙や筆のサンプルを用意し、視覚や触覚からも理解を助ける工夫を取り入れました。
- ある自然系ミュージアムでは、子供向けの観察プログラムで、音声での説明だけでなく、大きな絵カードを使って植物や昆虫の名前を紹介したり、匂いを嗅げるようにハーブの葉を用意したり、虫眼鏡やルーペを貸し出したりして、多様な感覚を使った学びを促しました。
- 小規模な美術館では、学芸員が展示室で特定の作品について解説する際に、解説の文字起こしを用意したり、椅子を用意して座って聞けるようにしたり、質問は手を挙げるだけでなく後で個別にも受け付けるようにしたりと、参加者のペースやスタイルに合わせた配慮を行いました。
これらの例は、特別な大掛かりな設備投資を伴わない、比較的手軽にできる工夫の積み重ねです。
さらに学びを深めるためには、インクルーシブデザインやユニバーサルデザインに関する書籍やウェブサイトを参照したり、障害当事者団体や高齢者支援団体など、多様な人々を支援する団体が開催する研修会に参加したりすることも有効です。また、他のミュージアムの担当者との情報交換も、実践的なヒントを得る上で非常に役立ちます。
まとめ
インクルーシブな教育普及プログラムづくりは、一度に完璧を目指す必要はありません。まずは、自身のミュージアムのプログラムで、どのような「参加しにくい」点があるか、想像力を働かせてみること、そして、小さな一歩から具体的な改善を始めてみることが重要です。
この記事でご紹介した企画や実施のアイデアは、予算や人員の制約がある小規模ミュージアムでも取り組めるものが中心です。すべての人がミュージアムでの学びや体験を享受できるよう、共にインクルーシブな教育普及活動を推進していきましょう。継続的な取り組みを通じて、より多くの人がミュージアムに親しみを感じ、豊かな時間を過ごせるようになることを願っています。