小規模ミュージアムでもできる:展示室の移動と安全を支える物理的工夫
インクルーシブなミュージアムづくりを進める上で、展示室内の移動と安全性を確保することは、多くの来館者が快適に鑑賞するための重要な要素です。特に小規模ミュージアムにおいては、限られたスペースや既存の建物の構造、予算や人員の制約から、大規模な改修は難しい場合が多いかもしれません。しかし、小さな工夫を積み重ねることで、展示室の物理的な環境をより多くの人にとって利用しやすく改善することが可能です。
本記事では、地方の小規模ミュージアムで働く学芸員の皆様が、日々の業務の中で実践できる、展示室内の移動と安全を支えるための具体的な物理的工夫についてご紹介します。
展示室内の移動と安全の重要性
展示室の移動環境は、車椅子やベビーカーの利用者、高齢者や視覚に障害のある方、歩行補助具を使用する方など、多様な来館者の鑑賞体験に直接影響します。通路の狭さ、段差、不安定な床材、適切な休憩場所がないことなどは、鑑賞の妨げとなるだけでなく、思わぬ事故に繋がりかねません。誰もが安心して、自分のペースで、展示をじっくりと楽しむためには、物理的なバリアを可能な限り取り除く努力が必要です。
小規模ミュージアムで考えられる課題
小規模ミュージアムの展示室においては、以下のような課題が考えられます。
- スペースの制約: 通路幅を十分に確保することが難しい場合があります。
- 建物の構造: 古い建物の場合、段差が多い、床材が不均一、手すりがないなどの課題があるかもしれません。
- 展示構成の柔軟性: 一度設置した展示物の移動や壁面の改修などが容易ではない場合があります。
- 予算と人員の制約: 大規模な物理的改修や専門業者への依頼が難しい状況です。
これらの課題を踏まえ、現実的に取り組める工夫に焦点を当てていきましょう。
低予算・少人数でできる具体的な物理的工夫
1. 通路幅の確保と動線の明確化
- 展示物の配置の見直し: 可能な範囲で、通路となる部分に十分な幅(目安として80cm以上、車椅子がすれ違うには120cm以上が望ましいとされますが、状況に応じて可能な範囲で)を確保できるよう、展示ケースやパネルの配置を調整します。壁面展示を積極的に活用することも有効です。
- 動線を示すサイン: 順路がある場合は、床面や壁面に分かりやすいサインを設置します。矢印や色分けなど、視覚的に理解しやすい工夫が有効です。ただし、サインが多すぎるとかえって混乱を招くこともあるため、必要な場所に絞って設置します。
- 障害物の撤去: 通路に私物や清掃用具などを置かないよう、スタッフ間の意識を共有します。
2. 段差への配慮
- 段差の明確化: 避けられない小さな段差には、注意喚起のために目立つ色(黄色など)のラインを引く、または異なる床材を使用するなどして、視覚的に分かりやすくします。
- 簡易スロープの設置: 持ち運び可能な簡易的なスロープを準備し、必要な場合にスタッフが設置できるよう備えます。常設が難しい場合でも、貸し出し用として用意することで対応できます。
- 危険箇所の周知: 館内マップや口頭案内で、段差のある場所を事前に伝えます。
3. 床材と安全対策
- 滑りにくい対策: 滑りやすい床材(例:石材、光沢のあるタイル)がある場所には、滑り止めシートを部分的に敷く、または定期的な清掃により床面の状態を良好に保つといった対策が有効です。
- 床面の照明: 足元を適切に照らす照明を追加することで、床の状態や段差をより見やすくすることができます。
- マットの活用: 入口や展示室の区切りなどに、厚すぎずにつまずきにくいマットを敷くことで、床材の変化を示すとともに、汚れの持ち込みを防ぐ効果も期待できます。
4. 休憩場所の設置
- 簡易ベンチ・椅子の活用: 展示室の途中に、簡易なベンチや折りたたみ椅子を複数箇所に設置します。座って鑑賞できる場所があることは、高齢者や疲労しやすい方、小さなお子さん連れの方にとって大きな助けとなります。
- 設置場所の検討: 動線の妨げにならず、かつ展示を眺めやすい場所に設置することが理想です。
- 貸し出し椅子の案内: 必要に応じて持ち運び可能な椅子を貸し出せることを、受付などで案内します。
5. 手すり・掴まる場所の検討
- 壁面手すりの検討: 予算や改修の規模によりますが、主要な通路の壁面に手すりを設置することは、特に高齢者や肢体不自由のある方にとって大きな安心材料となります。簡易的なものでも検討価値はあります。
- 展示ケースの活用(代替として): 展示ケースや壁面パネルなど、ある程度の強度がある構造物を、一時的に体を支えるために使える場所として示唆することも考えられます。(ただし、展示物やケースの安全性を損なわない範囲で、あくまで補助的な考え方として)
6. 照明とサインの連携
- 適切な明るさ: 展示物の鑑賞に最適な明るさを保ちつつ、同時に床面や通路、サインが見やすい明るさを確保します。
- サインの改善: 展示物のキャプションだけでなく、順路、非常口、休憩場所、トイレなどを示すサインを、誰もが見やすいフォントサイズ、配色、設置高さで設置します。既存のサインに補足情報を加えるだけでも効果があります。
実施上の考慮点
- 優先順位の設定: すべてを一度に行うことは難しいため、来館者の声やスタッフの気づきをもとに、最も改善効果が高いと思われる点から優先的に取り組みます。
- 来館者・スタッフの意見収集: 実際にミュージアムを利用する多様な人々(障害当事者、高齢者、子育て中の保護者など)や、日々の運営にあたるスタッフからの意見や要望を丁寧に聞き取ることから始めます。簡易的なアンケートや聞き取り調査も有効です。
- 他の部署との連携: 施設の管理部門や広報部門など、関係部署と連携しながら進めます。小さな変更でも、関係者との合意形成が重要です。
- 専門家への相談: 必要に応じて、ユニバーサルデザインや建築、福祉の専門家、あるいは障害当事者団体などに相談することを検討します。費用が懸念される場合は、まずは情報収集や簡易なアドバイスを求めることから始められます。地域によっては、自治体の福祉担当部署や相談支援事業所が情報を持っている場合もあります。
- 継続的な改善: 一度ですべてが完璧になるわけではありません。定期的に来館者の様子を観察したり、フィードバックを求めたりしながら、継続的に改善に取り組む姿勢が大切です。
参考情報と事例
他の小規模ミュージアムでの工夫事例を参考にすることは、具体的なアイデアを得る上で非常に役立ちます。インターネット検索や、関連団体(博物館協会、UD関連団体など)のウェブサイト、研修会などを通じて情報収集をしてみてください。
例えば、
- 通路が狭い展示室で、壁面展示を工夫し中央の通路を広く確保した事例
- 段差のある場所に、色とピクトグラムで注意喚起表示を設置した事例
- 窓際や展示室の隅に、デザイン性の高い折りたたみ椅子を複数設置した事例
など、様々な取り組みが行われています。これらの事例は、必ずしも大規模な工事を伴うものではなく、既存のリソースを活用したり、安価な備品を導入したりすることで実現されているケースが多いです。
まとめ
小規模ミュージアムにおける展示室の物理的なインクルーシブ化は、大きな予算や人員がなくても、学芸員の皆様の気づきと工夫によって着実に進めることができます。通路の確保、段差への配慮、休憩場所の設置など、一つ一つの小さな改善が、多様な来館者にとっての安心と快適さに繋がります。
すべての人が楽しめるミュージアムであるために、日々の業務の中で、展示室の環境についてインクルーシブな視点から考えていただければ幸いです。