「見やすい」展示空間を低予算で:高さ、配置、キャプションの物理的改善入門
すべての人が「見やすい」展示空間を目指して
ミュージアムにおける展示物の「見やすさ」は、来館者一人ひとりが展示内容を理解し、楽しむための基本的な要素です。しかし、「見やすさ」は単に視力に依存するだけでなく、展示物の高さ、配置、照明、そしてキャプションの掲示方法など、様々な物理的要素によって大きく左右されます。
特に、車椅子を利用される方、小さなお子さん連れの方、高齢の方、あるいは特定の感覚特性を持つ方など、多様な来館者にとって、標準的な展示方法は必ずしも見やすいとは限りません。すべての人が快適に展示を鑑賞できる空間づくりは、インクルーシブなミュージアムの重要な一歩と言えます。
地方の小規模ミュージアムでは、新しい展示設備を導入したり、大規模な改修を行ったりするための予算や人員が限られている場合が多いかと存じます。しかし、既存の環境の中でも、少しの工夫と視点の変更で、「見やすさ」を大きく改善することは可能です。本記事では、主に展示物の「高さ」「配置」、そして「キャプション」の物理的な側面に焦点を当て、低予算でも実践可能な改善策をご紹介します。
小規模ミュージアムが直面しやすい「見やすさ」の課題
小規模ミュージアムでは、以下のような状況が「見やすさ」の課題となりやすい傾向があります。
- 固定された展示台やケース: 既存の古い設備が多く、高さや角度の調整が難しい。
- 限られた展示スペース: 展示物を詰め込みがちになり、一つ一つの展示物が見づらくなる。
- 古い照明設備: 展示物全体が暗かったり、特定の角度からの光で見えにくくなったりする。
- キャプションの掲示方法: 小さすぎる文字、高すぎる位置、展示物との関連が分かりにくい配置など。
- 専門知識や人員の不足: ユニバーサルデザインやアクセシビリティに関する専門知識を持つスタッフが少なかったり、改善に取り組むための人員を十分に確保できなかったりする。
これらの課題に対し、すべてを一度に解決することは難しくても、小さな部分から具体的な改善を進めることが重要です。
低予算で実践できる「見やすさ」改善策
1. 展示物の高さと配置の工夫
ユニバーサルデザインの観点からは、床面から展示物の中心部までが100cm〜140cm程度にあると、多くの人が見やすいと言われています。しかし、既存の展示台でこの高さを実現するのが難しい場合でも、いくつかの工夫が考えられます。
- 展示物の傾斜: 平面に置かれた小さな展示物などは、簡単な台座やスタンドを使用して少し傾けるだけで、前かがみにならずに見やすくなることがあります。
- 高さを調整できる簡易台座: 段ボールを加工したり、既存の箱などを再利用したりして、展示物の下に置いて高さを調整することも可能です。見た目を損なわないよう、布などで覆うなどの工夫を加えます。
- 展示物の数を絞る: 一つのケースに多くの展示物を詰め込むと、個々が見づらくなります。展示物を厳選し、ゆったりと配置することで、一つ一つに注目しやすくなります。
- 配置場所の変更: 可能であれば、壁面だけでなく、中央の展示台や、車椅子の方が近づきやすい開口部のある展示ケースなども活用します。
- 通路幅の確保: 展示物の配置を工夫し、車椅子やベビーカーが安全に通行でき、立ち止まってじっくり鑑賞できる十分なスペース(目安として120cm以上)を確保します。
2. キャプションの物理的工夫
展示物の情報を提供するキャプションは、「何がどこにあるか」を明確にし、見やすい形で提示することが重要です。
- 適切な高さと角度: キャプションは、展示物のすぐそばの、床面から100cm〜140cm程度の高さに設置するのが理想的です。壁面に貼る場合でも、目線の高さに合わせ、読みやすい角度(垂直ではなく少し傾斜をつけるなど)で固定できるとより親切です。
- 展示物との対応関係を明確に: 複数の展示物がある場合、どのキャプションがどの展示物に対応しているのか、線で結ぶ、色分けをする、番号を振るなど、一目で分かるように工夫します。
- 設置場所の多様化: 壁面に貼り付けるだけでなく、展示台の上に置く、独立したスタンド式にするなど、展示物の種類や来館者の動線に合わせて設置場所を検討します。
- 大きな文字と十分なコントラスト: 文字のサイズは18ポイント以上を推奨しますが、スペースや情報量に限りがある場合は、少なくとも読みやすいフォントを選び、背景色とのコントラストをしっかりつけることが重要です。
- 情報量の整理: 全ての情報をキャプションに詰め込むのではなく、基本的な情報に絞り、詳細情報はQRコードで読み取れるウェブサイトや、別紙の解説シートなどで提供することも有効です。
- 手書きや簡易印刷でも工夫: 予算がない場合でも、丁寧な手書きや、家庭用プリンターでの印刷でも、文字サイズ、フォント、レイアウトを工夫することで見やすさは向上します。ラミネート加工などで耐久性を高めることも検討できます。
これらの物理的な改善に加えて、キャプションの「内容」そのものも、やさしい日本語を使用したり、専門用語を避けたりするなどの配慮を加えることで、より多くの人に伝わりやすくなります(この点については、関連する既存の記事をご参照ください)。
実施上の考慮点と次のステップ
- すべてを一度に変える必要はありません: まずは課題が大きい場所や、多くの来館者が利用する場所から優先的に改善を進めるなど、できる範囲から段階的に取り組んでみてください。
- 来館者の声を聞く: 実際に展示空間を利用した来館者(特に様々な属性の方々)や、展示準備・運営に関わるスタッフの意見を聞くことは、改善のヒントを得る上で非常に有益です。アンケートやヒアリング、観察などを通じて、見えにくい・使いにくいと感じる点を特定しましょう。
- 他のミュージアムの事例を参考にする: 他館のウェブサイトや報告書などで、インクルーシブ化の事例を調べることも参考になります。直接問い合わせて、具体的な工夫や苦労話を聞いてみるのも良いでしょう。
- 専門家への相談: ユニバーサルデザインやアクセシビリティの専門家、あるいは展示デザインの専門家の中には、低予算でも相談に乗ってくれる方がいるかもしれません。地域のNPOや福祉団体が情報を持っている場合もあります。
関連情報・相談先への示唆
ユニバーサルデザインやミュージアムアクセシビリティに関する基本的な情報は、以下のような場所で得られることがあります。
- 博物館関連の専門機関や学会
- 障害者支援を行うNPOや団体
- ユニバーサルデザインに関する書籍やウェブサイト
- 地域の福祉担当部署
具体的な相談先については、地域の特性や課題によって最適な場所が異なります。まずは、既にインクルーシブな取り組みを進めている近隣のミュージアムに話を聞いてみたり、地域の福祉関係者や当事者団体に相談してみたりすることから始めてみるのも良い方法です。
まとめ
展示物の「見やすさ」の改善は、限られた予算や人員の中でも、工夫次第で十分に実現可能です。展示物の高さや配置の調整、キャプションの見やすい掲示など、小さな物理的な改善の積み重ねが、多様な来館者にとってより快適で、発見に満ちたミュージアム体験へと繋がります。
すべての人が安心して楽しめ、深く学べるミュージアムづくりは、学芸員の皆様の日常的な業務の中にある、小さな視点の変更や少しの工夫から始まります。本記事でご紹介した内容が、その一歩を踏み出すための具体的なヒントとなれば幸いです。